2016年3月4日金曜日
彼女は地蔵になりたかった
ゆうに200人を超える方が集まって、交友関係の広さ、深さを知った。
友人とはデジタルハリウッドというWEBデザイナーを育成する学校で出会い、卒業してからもデジハリ出身者の方が主催した交流会やアウトドアでの集まりなどで一緒になった。
ここ数年はFacebookだけのつながりになってしまってましたが、いろんな活動を広く深く取り組んでいたように思います。
実際そうだったのでしょう。
未だ実感がわかずフワフワとした気分です。
後述の詩はお別れの会で彼女の父上がご自身の葬式に読んで欲しかったとおっしゃって朗読された詩です。
段階(詩:ヘルマン・ヘッセ 訳:高橋健二)
花がみなしぼむように
青春が老いに屈するように、
一生の各段階も知恵も徳もみな、その時々に花を開くのであって、
永続は許されない。
生の呼び声を聞くごとに、心は、勇敢に、悲しまずに、
新しい別な束縛に入るように、
別れと再会を覚悟しなければならない。
およそ事の初めには不思議な力が宿っている。
それがわれわれを守り、生きるよすがとなる。
われわれは空間をつぎつぎと朗らかに渉破(しょうは)せねばならない。
どの場所にも、故郷に対するような執着を持ってはならない。
宇宙の精神はわれわれをとらえようとも狭めようともせず、
われわれを一段一段と高め広めようとする。
ある生活圏に根をおろし、
居心地よく住みついてしまうと、弾力を失いやすい。
発足と旅の覚悟ができているものだけが、
習慣のまひ作用から脱却するのだろう。
臨終のときも、なおわれわれを新たな空間へ向け、
若々しく送る事があるかもしれない。
われわれに呼びかける生の呼び声は、決して終わることはないだろう。
では、よし!心よ、別れを告げ、すこやかになれ!
ヘルマン・ヘッセ(1877〜1962)ドイツの作家・詩人
彼の最後の対策『ガラス玉演技』(1946年ノーベル文学賞受賞)の終末部、「演技名人ヨーゼフ・クネヒトの遺稿」の中の詩。
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